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京都地方裁判所 昭和58年(ワ)959号 判決 1985年10月30日

原告

神野数

右訴訟代理人

堀和幸

被告

内藤公隆

右訴訟代理人

川瀬久雄

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し六五七万一一六七円及びこれに対する昭和五七年四月一一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故の発生(以下本件事故という。)

被告は、昭和五七年四月一一日午後八時ころ、その所有の乗用自動車(京五七ね八二六三号)を運転して、京都府宇治市広野町一里山二九番地先交差点に差しかかつた際、折から同所に停車していた中野美喜夫運転の普通貨物自動車(京都四〇す六〇四六号)に追突し、その結果中野車両に同乗していた原告に腰部打撲、脊椎圧迫骨折、脳震盪、外傷性頸椎症の傷害を負わせた。

2  責任原因

本件事故は被告の前方不注視によつて発生したものであり、被告に過失があることは明らかである。

3  損害

(一) 傷害、治療経過、後遺症

原告は、本件事故による前記傷害の治療のため、京都木津川病院で、昭和五七年四月一四日から同年九月一日まで一四一日間入院し、同年四月一一日から同月一三日まで及び同年九月二日から昭和五八年五月二六日まで通算約九か月間通院したが、前記傷害が全治せず、腰がつつぱり寝返りが出来ない、両足関節が痛む、時々頭痛がある、頸が痛む等の局部に頑固な神経症状を残す後遺障害が残つた。右後遺障害の等級については、自賠責保険上一一級七号に該当する旨認定された。

(二) 損害額

(1) 休業損害

原告は、本件事故当時、大阪で屋台のラーメン屋をしており、三〇ないし五〇万円の月収があつたが、本件事故前日に大阪での商売をやめ、次の仕事場所を見つけて帰宅途中に本件事故にあつた。右の商売の収入は不安定であるが、七五歳の平均給与額一九万四九〇〇円を下回ることはないことは明らかである。そして入院中は右の商売をなすことは不可能であつたから休業損害は九一万六〇三〇円となる。

(2) 後遺症による逸失利益

原告の前記後遺障害による労働能力喪失率は二〇%であるから、逸失利益総額は次のとおり一六六万七〇九七円となる。

一九万四九〇〇(円)(月収)×一二×〇・二〇(労働能力喪失率)×三・五六四(就労可能年数四年に対応する新ホフマン係数)=一六六万七〇九七(円)

(3) 慰謝料 四三四万円

(一) 入通院分 一三五万円

(二) 後遺症分 二九九万円

(4) コルセット代 三万三七〇〇円

(5) 交通事故証明書交付手数料 一〇〇〇円

(6) 本件を弁護士に依頼するため京都弁護士会等へ行つた際のタクシー代 一万三三四〇円

(7) 損害の填補

原告は本件事故の損害賠償の内金として四〇万円を受領した。

4  よつて、原告は被告に対し、損害残金六五七万一一六七円及びこれに対する不法行為発生の日である昭和五七年四月一一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1の事実のうち被告車両が中野車両に追突したこと、本件事故により原告がその主張の損害を負つたことは否認し、その余は認める。

被告車両と中野車両は衝突はしていないし、仮に衝突していたとしても、その衝撃は極めて軽微であつて原告には傷害は生じていない。

同2の事実は否認する。

同3(一)の事実は不知。

同3(二)の事実は(7)を認め、その余は争う。

三  抗弁

原告は前記四〇万円のほか、自賠責保険より一八一万円を受領している。

四  抗弁に対する認否

認める。

第三  証拠<省略>

理由

一本件事故の発生

<証拠>によると、本件事故現場は南北に通じる市道八軒屋線が東西に通じる府道宇治淀線とT字型に交わる信号機の設置された交差点(以下本件交差点という。)であるが、本件事故当時北進方向の信号は赤色の点滅を、東西方向の信号は黄色の点滅をそれぞれ表示していたこと、被告は、原告主張の日時場所において普通乗用自動車(三菱ギャランシグマ、以下被告車という。)を運転し、市道八軒屋線を北進し、本件交差点を南方から西方に向かい左折すべく本件交差点南詰の停止線付近で一旦停止したが、同地点からは交差道路である府道宇治淀線の左右の見通しが困難であつたため、発進し、時速五キロメートル程度の速度で約五メートル進行した地点において右方を見たところ、右方約二〇〇メートル付近の府道宇治淀線上を西進してくる車両を認めたこと、被告は、その直前、本件交差点の南方約二二メートル付近の市道八軒屋線を北進していたとき、本件交差点南詰付近を先行して左折しようとしている中野美喜夫運転の普通貨物自動車(三菱ミニカ、以下中野車という。)を認めたが、中野車はその直後に本件交差点を左折したので、左方道路に曲つた付近には中野車は既にいないものと考え、その後は右方道路の西進車両のみに気をとられ、左方道路の注視を欠いたまま前記約五メートル進行した地点から前記速度で約〇・八メートル進行した時点において前方を見たところ、被告車運転席から約二・六メートルの直前に中野車が停止しているのを認め、直ちに急制動の措置をとつたが及ばず、ほぼ西向きに停止していた中野車後部に被告車左前部をほぼ北西方向に斜めに追突させたこと、衝突後の中野車及び被告車にはいずれも外観上は本件事故によるものと思われる明白な衝突痕は見受けられなかつたが、被告車の左前部バンパー内側部分に微量の白い剥脱した塗料が付着していたこと、なお本件事故当時被告車には助手席に内藤千恵が後部座席に杉本浩美が、また中野車には助手席に原告が後部座席に百尾君子がそれぞれ同乗していたことが認められ、<証拠>中右認定に抵触する部分はこれらを除く前掲各証拠に照らし直ちに採用し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右事実によると被告には左前方不注視の過失があることは明らかであつて、本件事故により原告に損害が生じたとすればその損害を賠償すべき義務がある。

二本件事故と原告の傷害との因果関係の存否

そこで本件事故により原告がその主張のような傷害を負つたか否かにつき判断する。

1  <証拠>によると、原告は、本件事故当日の午後九時過ぎころ、城陽市内所在の京都木津川病院を訪れ、同夜の当直医師に対し背中及び腰部の痛みを訴えて診察を受け、翌四月一二日には同医院医師中野進の診察を受けたが、その際にも強い腰部の痛みを訴えたので、同医師は、原告の腰部レントゲン検査をしたところ、第一及び第二腰椎に圧迫骨折があるものと判断し、かつ右圧迫骨折は原告が本件事故の際車内で腰部を打つたために生じたものと考え、加療約三か月間を要する腰椎圧迫骨折及び腰部打撲と診断したところ、原告は、右診断による治療のため昭和五七年四月一四日から同年九月一日まで同病院に入院し、その後通院したが、同病院では、昭和五八年五月二六日、原告の傷病名を腰部打撲、脊椎圧迫骨折、脳震盪、外傷性頸椎症とし、原告には自覚症状として腰がつつぱり、寝返りができない、両足関節が痛む、時々頭痛がある、頸が痛む、聴力が減退した等があり、他覚症状として頸部につきの狭少、項中隔石灰化、の不安定と骨棘、腰部につき変形性変化、の狭少が窺われる旨の後遺障害の診断をなしたことが認められる。

右事実によればなるほど原告が本件事故によりその主張の傷害を負つたことが一応首肯できそうである。

2  しかしながら次に認定する諸事実に照らすと右因果関係についてはさらに仔細な検討を要するところである。

(一) まず前掲甲第二五号証(三菱自動車工業株式会社品質保証本部品質保証部業務課長室田良一作成の回答書)によると、停止中の三名乗車の普通貨物自動車三菱ミニカの後部に、三名乗車の普通乗用自動車三菱ギャランシグマの左前部が前認定の本件事故と同様の角度で追突した場合において、右シグマの追突速度が約三キロメートル毎時ないし約五キロメートル毎時のときに右ミニカの乗員に作用する加速度は約〇・一Gないし約〇・三G程度であり、また同様の角度で右ミニカの左後部に右シグマの前部中央が追突した場合の数値は右の場合よりもさらに低くなることが認められ、かついずれも原本の存在とその成立に争いのない甲第三一、第三二号証(鑑定人古村節男の鑑定、以下古村鑑定という。)によると、約〇・一Gないし約〇・三G程度の加速度による衝撃は極めて軽度のものであり、右程度の衝撃は、一般に被追突車の乗員に対して、人間の首が後方へ曲りうる生理的限界角度以上にこれを後ろへ曲げさせるほどのものとはいえないし、また腰部についてはより小さいこと(なお人間の頭部が後方へ曲りうる生理的限界角度は平均六一度であり、頭部が右限界角度を超えて後方へ曲つたときに鞭打症が生じうるところ、被追突車の乗員の頭部を生理的限界角度以上に後方へ曲げさせるのは追突速度がほぼ時速一六キロメートル以上の場合の衝撃である。)が認められる。加えて前記認定のとおり被告車及び中野車双方には本件事故による破損は殆どなく、被告車の左前部バンパーの内側部分に僅かに剥脱した塗料が付着していた程度であること等を総合考慮すると、本件事故の際、中野車に乗車していた原告ら三名が受けた衝撃は極めて軽微なもので、ひいては身体の揺れも僅かな程度であつたものと推認することができ、<証拠>中右認定に抵触する部分は直ちに採用し難く、他に右推認を動かすに足りる証拠はない。

(二) そして、古村鑑定によれば、鑑定資料である京都木津川病院の原告の診療録には昭和五七年四月一二日及び同月一四日の各欄にいずれも第一と第二腰椎に圧迫骨折がある旨(但し同月一四日欄の第二腰椎圧迫骨折は疑と)記載されているが同月一二日撮影の原告の腰部レントゲン写真によると、第一腰椎には圧迫骨折のあることが認められるけれども、これは骨棘の程度、骨折周辺の硬化程度等からみて少なくとも本件事故発生時の一年以上前に発生したものと推定され、既に症状は固定したものであり、また第二腰椎の圧迫骨折は認められず、ただ第五腰椎と仙骨との椎間関節に変形硬化が認められるものの、これは長い間力仕事をした者によく認められるもので、本件事故とは直接には無関係であり、当時原告に腰部の痛みがあつたとすればこれが原因とも考えられ、かつその後昭和五八年五月二六日までの間に撮影された各腰部レントゲン写真上の所見はいずれも右同様であるが、同年六月二日撮影の腰部レントゲン写真で新たに第二腰椎の骨折が認められ、これは同日欄の診療録の記載によると原告が同年五月二九日溝に落輪した軽四輪自動車を持ち上げた際に生じたものと考えられ、これらのことから、原告には本件事故による腰椎圧迫骨折は生じていないとなしている。ところで同鑑定人が多数同種の鑑定経験を有する法医学者であるうえ、右鑑定にあたつては整形外科の専門医等の意見を参酌したことが認められること、前記認定の本件事故の状況殊に追突による衝撃の程度等に鑑みると、同鑑定人の右鑑定結果は十分首肯することができるものというべきである。そうすると、原告にはその主張にかかる本件事故による腰椎圧迫骨折は生じていなかつたものというべきである。

また原告は本件事故により腰椎圧迫骨折のほか腰部打撲、外傷性頸椎症、脳震盪の傷害を受けた旨主張し、前認定のとおり京都木津川病院ではその旨診断されているが、前掲甲第一八号証によると、同医院医師前記中野は、原告の腰部打撲について、原告の腰部の痛みは腰椎圧迫骨折か腰を打つたことによるもの、また腰を打つたことにより圧迫骨折が生じたものと考えているが、原告に本件事故による腰椎圧迫骨折が生じていなかつたことは前認定のとおりであるうえ、前掲甲第八、第九、第一六号証及び原告本人尋問の結果中で原告は追突のとき上体が斜め前方へガクッとのめつた旨述べているに過ぎず、腰部や頭部を打つたとは述べていないこと、古村鑑定によれば、鑑定資料である京都木津川病院の原告の頭部、頸部についてのレントゲン写真及びCT写真上格別異常が認められないこと、前認定のとおり本件事故の追突による衝撃の程度及び身体の揺れは極めて僅かであつたものと推認されること等に照らすと、本件事故の際原告が腰部打撲は勿論、外傷性頸椎症や脳震盪の傷害を受けたとは未だ断じ得ないものというべきである。

結局原告が本件事故により腰椎圧迫骨折及び腰部打撲等の傷害を負つたこと及びこれに基づく後遺症の事実は京都木津川病院医師の前記診断結果に関する証拠をもつてはこれを認めることができず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

三結論

してみれば原告の本訴請求はその余の点につき判断するまでもなく理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官小山邦和)

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